越中昔話「田分けの熱いくわ」!

越中昔話「田分けの熱いくわ」!

富山県魚津市の話(筆者さかい・けいこう氏)!

越中の国・松倉郷(今の魚津市西南部)にあった甲村の人々は、もとは台地に住んでいた。水田が少ないので、雑木を伐採した山に火をつけ、耕してアワやソバを作っていた。

それでも領主の年貢の取りたてがきびしいので、村の人たちは新田を開くため汗を流して働いた。隣の村の乙村は、甲村より田んぼが少なかったので、甲村の人たちと一緒に台地の田を開く仕事にきていた。

夏の暑い日、山の木を切り、山を焼き払い、木の株を掘り起こして田を開いた。石を運ぶ道具「もっこ」の担ぎ棒が肩にくい込み、手の皮がさけて血が出た。

数年の後に谷から水を引き、新しい水田が出来上がった。

甲村の人たちは、宮の境内に火をたき、酒をくみかわして夜が明けるまで踊り通したという。

この後は、続きを見て下さい。ところが、乙村から、台地の新しい田を分けてほしいと願いが出た。役人は思案のあげく村の代表を呼んで、「火で焼いたくわを手に持ち、おしいただいた(顔の前に持ち上げた)者の村に、台地の新田を与える」と、命じた。

両方の村では、一番よく働いたクマのように力のある若者が選ばれた。

役人は、村の者たちが見守る中でくわを焼き、二人の若者を呼び出した。「よいか、村の者たち、この熱いくわをおしいただくのだ。その者の村に、この土地を与えるぞ」

最初は、甲村の若者が進み出た。両手でくわをつかみ、おしいただこうとした。骨まで焼けそうな熱さだ。顔を真っ赤にして我慢したが、くわを投げ出してしまった。

乙村の若者は、目をかっと開き、くわを両手でうやうやしくさしあげた。手のひらの皮はぱんぱんで、石のように硬かったという。

以来、この台地の田は、乙村の人たちが米を作るようになったという。甲村の人たちは、その後、宮を移し、沼地跡に田を開き、村づくりに励んだと伝えられている。『北日本新聞』より

タグ:昔話
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